ひふみフォーラム2022 イベントレポート 藤原麻里菜さん×八尾尚志×内藤綾乃 鼎談(前編)
2022年2月26日(土)にオンラインで開催されたひふみフォーラム2022。
ひふみのブランドコンセプト「次のゆたかさの、まんなかへ」を体感しながら学ぶオンラインイベントの様子をレオスメンバーがレポートいたします!今回は、世の中に不要なものを生み続ける「無駄づくり」のコンテンツクリエイター、文筆家の藤原麻里菜さんをお迎えし、株式戦略部シニア・ファンドマネージャー八尾尚志・パートナー営業部内藤綾乃と「人に無駄と言われても~無駄に宿る価値~」をテーマに、藤原さんが「無駄づくり」に込めた想いや「無駄」が生み出すゆたかさを探った鼎談の様子を、マーケティング部・沼尾がレポートいたします。前編では無駄づくりをする理由やその中にある「余白」についてお伝えします。
私自身、無駄なものを集めることが趣味の自称「無駄収集家」ということもあり、無駄なものを絶えず生み出している藤原麻里奈さんのことは、ずっと気になっていました。
無駄の中にキラキラとした宝石を見つけ出すような鼎談になるのか楽しみです!
藤原麻里菜さん プロフィール
コンテンツクリエイター・文筆家
頭の中に浮かんだ不必要な物を何とか作り上げる「無駄づくり」を主な活動とし、 YouTubeを中心にコンテンツを広げている。2013年からYouTubeチャンネル「無駄づくり」を開始。現在に至るまで200個以上の不必要なものをつくる。2016年、Google社主催の「YouTubeNextUp」に入賞。 2018年、国外での初個展「無用發明展- 無中生有的沒有用部屋in台北」を開催。25000人以上の来場者を記録した。「総務省 異能vation 破壊的な挑戦者部門 2019年度」採択。
■無駄づくりHP:https://fujiwaram.com/
■無駄づくり(YouTube):https://www.youtube.com/c/mudadukuri/featured
八尾:
たくさんの作品がある中でもこの動画(オンライン飲み会緊急脱出マシーン)がすごく好きです。私もZoom飲みがそこまで好きではないところもあって、動画のようにきれいにフェードアウトできるのっていいなと思っていたので、今回の鼎談を楽しみにしていました。
内藤:
今回は会場にこちらのマシーンをお持ちいただきました。藤原さんの発明品を生で見られるのを楽しみにしていました。
内藤:
まずは藤原さんが無駄づくりを始められたきっかけからお聞きしたいです。
藤原さん:
NHKのピタゴラスイッチがすごく好きで、自分でもつくろうと思ったのですが、うまく作れなくて。でもすごく時間をかけてつくったつくったのでそれを失敗と言いたくなくて、無駄づくりという言葉を作って無駄なものを作れば、失敗も失敗ではなくなると思ったのがきっかけです。
八尾:
藤原さんが発明品をつくるときは、設計図は起こさないのでしょうか?
藤原さん:
設計図は紙には書かないです。モーターなどの設計図は起こさないですね。
八尾:
運用をする時はすごくアイデアが必要です。僕は日頃から息をするように投資アイディアをいろいろ探すようにしています。藤原さんのYouTubeを拝見すると200以上のすごい数の動画が上がっていますが、インプットを受けてアウトプットする難しさ、しんどさはありますか?
藤原さん:
やらなきゃと思ってやっているわけでも続けようと思って続けているわけでもないので、アウトプットにしんどさはあまり感じないです。そこは会社員の人とはちょっと違うところなのかなと思います。
インプットは、日常生活を過ごすことで、とてもたくさん刺激を受けることができると思うので、それが自ずとインプットになっています。私は、できるだけインプットとアウトプットの間隔を狭くしたいと思っています。毎日テレビや配信サービスを見たり、SNSで情報に触れ続けることを「インプット地獄」と呼んでいるのですが、そういう沼にハマってしまうとアウトプットの仕方がわからなくなっていって自分を苦しめる気がしています。私は無駄づくりを通して、アウトプットのハードルを限界まで低くして表現をするようにしています。何でもいいので、思いついたひらめきをカタチにすることを私は大切にするようにしています。
八尾:
おもしろいですね。「インプット地獄」というのも、すごくわかるし。
内藤:
そうですね。このネット社会にしっくりきますね。
八尾:それは僕らもよくあります。聞き続けていると、かえって自分の中にどんどん消化不良が起こっていくような感じもすごくあります。人にこうやって色々しゃべると、逆に整理がついたりとか。
藤原さん:
やっぱり、言葉にするとか動いてみるとか、表現することって大切ですよね。私は「無駄づくり」というかたちで日常を表現していますが、人によっては日記を書くとか、企画を考えてみるとか、友だちにちょっと愚痴ってみるとか。そういうふうに、人それぞれ表現方法がたくさんあっていいんじゃないかなと思いますね。
有用性を目的としない無駄づくり
八尾:
実際に今、ものをつくるかと言われるとつくるけれども、藤原さんの作品を見ていてすごいなと思うのは、0から1をつくるのがすごいなと思っていて。
僕なんかがつくるのは、せいぜいプラモデルとかも含めて、すでにある程度フォーマットがあるものとか、ある程度のイメージができるものが最初からあるので。つくるのは好きだけども、そこは彼我の差がすごく大きいなと思うんですよね。これを0から生み出せるってすごいなと。
藤原さん:
0から1というのも、自分では「0からつくろう」みたいなことではなくて。そこで天秤にかけないというところが自分の大切にしてるところです。
私が大切にしていることは、有用性を目的としてモノづくりをしないことですね。通常、アイディアが浮かんで、有用性があるかないか、振るいにかけてモノづくりをすることが多いと思うのですが、私はそこを敢えてふるいにかけずに「無駄なものをつくる」ということを大切にしています。
内藤:
たしかにアイディアが浮かんでも、「これが何の意味があるだろう」と考えてしまったら中々前には進めないことってありますよね。
八尾:
藤原さんの発明を見たときに、私はオタマトーンや魚コード(ナコード)で有名な明和電機さんというアーティストさんを連想しました。明和電機がすごく好きなんですけど、明和電機さんの発明は使いやすさを重視してはいないけれど日常でも使えるものというイメージがあります。藤原さんの発明はまたそうではない精神的な部分にアプローチしている気がします。
藤原さん:
(明和電機の)土佐さんがつくっているものも土佐さんの思考や欲求から着想を得ていると思うのですが、私はより日常的な自分の欲求といったところから考えることが多いです。現代アートや現代美術を志しているかというとそうではなくて、コンテンツとして自分の作品を捉えている部分があります。
余白をつくるために無駄を生む
内藤:
ものをつくり出す時って、どうしても意味を考えてしまいそうですが、逆に無駄と思えるようなものをつくることで、生活にもちょっとゆとりが生まれそうですし、すごくおもしろい着想だと思います。
藤原さん:
「無駄」ってネガティブな言葉ですが、無駄を受け入れ続けることで生活のゆたかさや、心の余白が変わってくると思います。
街を例に考えてみても、利益をあげることを考えたら空き地を潰して商業施設を建てたほうが利益が高いと思うのですが、空き地を潰すことで無くなるものがあると思います。数字を追求しちゃうことで無くなってしまうカルチャーって大切なものだと感じます。
他にも、日本家屋にある床の間ってすごく無駄じゃないですか。
八尾:
そうですよね。「そこを本棚にしたほうがいい」って話ですよね。
藤原さん:
「本棚にしてしまえばいいじゃん」って思うのですが、そこを床の間のままにすることで生まれる自分の心の余白があると思っています。
だからこそ、今みんな、そういった余白を大切にしていったほうがいいと思いますし、私は余白をつくるために「無駄」を追い求めているところがあるなと思います。
内藤:
確かに。冒頭お話ししていただいたみたいに、今はネットが充実しているし、情報過多な社会なので、それを追い続けると疲れちゃいますし、どこかでゆとりを持って立ち止まる時間がほしいですよね。
藤原:
おっしゃったように、どんどん情報に圧迫されて、気づいたらスペースがなくなっていっちゃう気がするんですよ。だから、無駄なスペースをちゃんと守り抜くことは大切なのかなと思いますね。
八尾:
空間や時間をすべて埋め尽くしてしまうと、そこに何も生まれない感じがしちゃうんですよね。さっきの床の間の話もそうだし、「無駄」というとどうしてもネガティブ感は出ちゃうんだけれども、あえて無駄をつくるのは、余白をつくることとほとんど同義語だなと思うところはあります。
無駄は生活のゆたかさ、心の余白。という藤原さんの言葉は、まさしくその通りだなと思いました。
私も他人が見ると一見いらないものを集めていますが、それが自分の心の余白であり、精神的な支えになると感じています。好きなことや趣味を持っているすべての方にいえることではないかと思いました。
また、有るものが無くなるときも悲しい気持ちになりますが、それは無い物の上に何かをつくられる時も同じだと思いました。心地いいと思っていたものに何かが入り込んでくるむず痒いという感覚。効率、数字を求めないことで生まれる心の余白も当然あると感じます。
後編につづく
※当記事のコメントは、個人の見解です。当社が運用する投資信託や金融商品等の売却・購入等の行為の推奨を目的とするものではありません。