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元日本代表監督・岡田武史さんが「心のゆたかさ」を大切にする理由【ひふみフォーラム2020開催レポート vol.2】

5月24日にオンライン開催(YouTube Live)した「ひふみフォーラム2020」。

当日はひふみの新しいブランドメッセージ「次のゆたかさの、まんなかへ」をテーマにしたゲストトークが盛り上がりましたが、今回は岡田武史さんの基調講演についてレポートします。

岡田さんの登場にコメント欄も湧き上がっていました!

前編と後編の2回に分けて、レオス・キャピタルワークス 経済調査室の橋本裕一がお伝えします。

岡田さんといえば、日本を初めてサッカーW杯出場に導いた監督であり、2大会で指揮を執った唯一無二の日本人です。世界との差を知っていて、そこでの勝ち方を追求してきた人物。

著書やテレビでは、自身の勝負哲学や日本人に足りないものについてよく語っていらっしゃいました。それにはレオスの考えるバリューや、ひふみの運用哲学と似た部分が多くあるのではないかと感じていたので、今回とても楽しみにしていました。(橋本)

原点にあった環境問題への思い

岡田さんはサッカー日本代表監督として二度、W杯で代表チームを率いました。現在は愛媛県の今治で次世代の選手育成と街づくりにチャレンジしています。岡田さんが代表を務める株式会社今治.夢スポーツの企業理念はこちら。

「次世代のため、物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する」

株式会社今治.夢スポーツ


この理念に至った、その原点は「環境問題」だったそうです。

岡田さんは学生時代、『成長の限界』という環境問題の本に出会い、NPOにも入って活動していました。「実は僕、環境学者になりたかったんですよ。でもそれじゃ自分は食っていけないし、サッカーの方が食っていけそうだったからサッカーにいったんですけどね」と笑いながら語られます。

「1992年、リオデジャネイロの環境サミットでセヴァン・スズキという12歳の少女が世界の首脳を前に素晴らしいスピーチをしました。

元に戻す方法がわからないものを壊し続けるのはもうやめてください。大人は子どもに、理想だけではなく実行しなければいけないと言うのに、なぜあなたたち大人は実行しないのですか』と。多くの人が涙を流し、子どもたちのためにも、この地球を守らなければいけない。そう決心したムードでした。

しかし昨年、国連気候行動サミットで、あのグレタさんの強烈なスピーチ……。30年近く経って世界は何も変わっていないのかもしれません

2002年、南アフリカの環境サミットにも岡田さんはNPOの一員として参加しました。国同士では利害が対立して議論が進まない。それなら個人がみんなで手をつないで働きかければ政府も変わるのではないか。多くのNPOやNGOのトップが会ってくれました。これから世界を救うために、皆で力を合わせませんかと話しかけたそうです。

しかし、彼らは「そういう気があるなら、うちに入ればいいよ」といった話ばかり。誰も手を結ぼうという話はしなかった。彼らは最高級ホテルに泊まっていた。大企業も環境保護のアピールのためにNPOにお金を払って商品にマークを付けていた。人間って本当に愚かだな、と。結局、経済が一番大事なのか、と。

地球は子孫から借りているもの

岡田さんが一種の失望を覚えて日本に帰国したときに出会ったのが、多摩大学の田坂広志先生でした。そこで「invisible capital(=目に見えない資本)にお金が回る社会になれば救われるかもしれませんよ」と言われた時、目からウロコが落ちたそうです。

「そんな考え方があったんだ、と飛びついた。「目に見えない資本」という言葉にとりつかれました。もののゆたかさとは数字で表せるもの。売上、GDP、株価。そうではなく、心のゆたかさ。すなわち信頼、共感、感動、夢……。そういうものにお金が回る社会にならないと必ず行き詰まるだろうと。それは“息詰まる”ことでもあります。

アメリカインディアンに今でも伝わる言葉があるそうです。

『地球は子孫から借りているもの』

ご先祖様から受け継いだとよく言うかもしれませんが、実は子孫から借りているもの。未来に生きる子どもたちから借りているものは、壊したり汚したり傷つけたりしてはいけないのです」

環境問題を通じた経験が、のちに岡田さんの信念へとつながっていきました。

岡田さんが環境学者になりたかったこと、NPOなどで活動していたこと、そしてそれが経済的・物質的なゆたかさよりも、精神的なゆたかさへの志向につながっていたこと。私も含めて参加者の多くが「そうだったんですね」と驚きのコメントを残されていました。

環境問題への強い思いを語っていただきました

日本でも自立した主体的な選手を育てる

今治FCのオーナーになるまでの経緯も話していただきました。それは、未来の日本サッカーを見据えてのチャレンジでした。

「日本人のサッカー選手は、言われたことをきっちり真面目にやる。しかし、自立して主体的に、自分で判断してプレーできる選手が少ない。

昨年、日本代表がベネズエラ代表と対戦したとき(キリンチャレンジカップ2019)のことです。実力差の小さい相手に、なんと日本は前半だけで4失点。ハーフタイム、ロッカーへ引き上げる選手の表情を見て、ショックを受けました。みんな目が泳いでいた。俺らが!という気持ちじゃなくて、『監督がなんとかするんですかね……』と、そんな表情だったんです。

そのあと17歳以下の世界大会があり、ブラジル代表がフランス代表と戦った。当時フランスは世界一とも言える圧倒的な戦力を誇っていました。予想通りフランスが2点を先取し、前半を終える。ハーフタイムで私はまた驚きました。

ブラジルは、スタメンもサブも全員がグラウンドに集まり、身振り手振りを交えて激論を交わしていた。そこには監督もコーチもいない。17歳の青年たちだけ。そして後半、ブラジルは逆転勝利を収めたんです」

また、東日本大震災のときのこと。岡田さんは避難所を訪ねてまわった時にあることに気づきました。

「写真を撮り、サインをしました。でもそれだけでは、みんな本当の笑顔にはならなかったんです。

そのあと子どもたちを外に連れ出し、グラウンドでサッカーを始めました。すると、避難所の大人が全員グラウンドを取り囲み、とても盛り上がって、最高の笑顔をしていた。

家族を失い、家を流され。そんな中、人々の生きる希望は子どもたちの笑顔だったんです」

やっぱりサッカーは子どもも大人も笑顔にすることができる。日本でも世界に通用するプレーモデルをつくろう。きっと、10年後に答えが出る。

そんな想いを持って、岡田さんは今治へ行くことになります。

>>【ひふみフォーラム2020開催レポート vol.3】へ続きます!

(レポート:経済調査室・橋本裕一)

※当記事のコメントは、個人の見解です。当社が運用する投資信託や金融商品等の売却・購入等の行為の推奨を目的とするものではありません。